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札幌高等裁判所 昭和51年(ネ)272号 判決 1984年11月28日

控訴人(第一審甲事件被告、乙事件原告)

木下裕二

控訴人(第一審乙事件原告)

木下裕亜

ほか二名

被控訴人(第一審甲事件原告、乙事件被告)

清田忠

被控訴人(第一審甲事件原告)

伊藤俊之

被控訴人(第一審乙事件被告)

綿久寝具株式会社

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人木下裕二

1  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人清田忠、同伊藤俊之の請求をいずれも棄却する。

3  被控訴人清田忠、同綿久寝具株式会社は控訴人に対し、各自金六二万二五九六円及び内金五七万二五九六円に対する昭和四七年一〇月二日から、内金五万円に対する判決確定の日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  控訴人木下裕亜、同木下トモエ及び木下亮三

1  原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人清田忠、同綿久寝具株式会社は、各自、

(一) 控訴人木下裕亜に対し、金一四九六万三二六〇円及び内金一四〇六万三二六〇円に対する昭和四七年一〇月二日から、内金九〇万円に対する判決確定の日から、それぞれ支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

(二) 控訴人木下トモエに対し、金六八八万七一六三円及び内金六五八万七一六三円に対する昭和四七年一〇月二日から、内金三〇万円に対する判決確定の日から、それぞれ支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え

(三) 控訴人木下亮三に対し、金六三九二万三七三二円及び内金六一九二万三七三二円に対する昭和四七年一〇月二日から、内金二〇〇万円に対する判決確定の日から、それぞれ支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人清田忠、同綿久寝具株式会社の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

三  被控訴人ら

主文同旨の判決を求める。

第二主張

当事者双方の事実上の主張は、次のとおり訂正、付加するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決四枚目裏四行目に「方面」とあるのを「方向」と、同七枚目表三行目に「2の事実」とあるのを「3の事実」と各訂正し、同八枚目裏一行目「三条により」の次に「亡雅雄、」を、同九枚目表五行目「各四九三万七一六三円」の次に「(端数切捨)」をそれぞれ加え、同八枚目裏八行目から九行目にかけて「(九八七万四三二六円)」とあるのは「(九八七万四三二七円)」の、同一一枚目裏一〇行目に「三二四〇円」とあるのは「三二五〇円」の各誤記と認めて改める。)。

一  被控訴人ら

1  主張の訂正

甲事件請求原因1、(八)(結果)の事実中、被控訴人清田忠、同伊藤俊之の各入(通)院期間につき、次のとおり主張を改める。

「(1) 被控訴人清田忠は、昭和四七年一〇月一日から同年一二月二七日まで坂井外科医院に入院した。

(2) 清田車の助手席に同乗していた被控訴人伊藤俊之は、同年一〇月一日から同月八日まで前記医院に通院(実日数七日)した後、同月九日から同年一二月九日まで右医院に入院し、同月一〇日から昭和四八年一月一八日まで同医院に通院(実日数九日)した。」

2  付加主張

乙事件につき、次のとおり被控訴人清田忠、同綿久寝具株式会社の抗弁を付加する。

「仮に、本件事故につき、清田車に若干の過失があるとしても、本件事故は、木下車が予じめ右折の合図をしないまま急に右折を開始したために両車両が衝突して発生したものであつて、右木下車の過失が極めて大きいから、相当程度相殺さるべきである。なお、木下車は、控訴人木下裕二が運転していたものではあるが、控訴人木下裕亜、同木下亮三及び亡雅雄は、いずれも控訴人木下裕二と一緒に狩猟ときのこ狩りをする目的で行動を共にし、右車両に同乗していたものであるから、過失相殺において、控訴人木下裕二の過失は、その余の控訴人らについても同様に解すべきである。」

3  控訴人らの主張に対する答弁

(一) 甲事件につき、

(1) 控訴人木下裕二の抗弁1の事実中、木下車が、その主張の日時場所において、その主張の速度で走行していたこと、清田車が右木下車を追越すべく中心線を越えて同車の右側後方に出たこと、右両車両が衝突して清田車が木下車をその主張のガードロープ支柱方向に押して行つたこと、清田車の前部キヤビン部分が後部荷台部分と分離して土手下に転落したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同抗弁2の事実中、大江橋の橋上の道路の幅員が六・五メートルであることは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 乙事件につき、

(1) 請求原因1、(七)(事故の態様)の事実中、木下車に、その主張の各同乗者が、それぞれの主張の位置に乗車していたことは認める。

(2) 同1、(八)(結果)の事実中、亡雅雄がその主張の日時場所で死亡したこと及びその余の各同乗者らが本件事故の衝撃により負傷したことは認めるが、その主張の各受傷の内容は否認し、その余の事実は不知。

(3) 同2、(二)(被控訴人清田忠の責任)の事実中、清田車が木下車を追越ししようとしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二  控訴人ら

1  主張の訂正

(一) 甲事件につき

(1) 控訴人木下裕二の抗弁1の事実を、次のとおり改める(原判決六枚目表八行目以下)。

「本件事故は、控訴人木下裕二が木下車を運転して昭和四七年一〇月一日午前五時四五分ころ、本件事故現場である大江橋上を余市町方面から倶知安町方向に向けて時速約五五キロメートルの速度で走行中、清田車を運転して後続して来た被控訴人清田忠が、木下車を追越すべく時速約六五ないし七〇キロメートルに加速して中心線を越えて木下車の右側に出たが、対向車があつたため追越しを中止し、中心線寄りにその左側部分を走行していた木下車の後方に進路を戻すべく減速してハンドルを左に切つた際に運転操作を誤り、清田車の左前部を木下車の右後側部に接触させて木下車に右回りのスピンを生じさせ、その衝撃により控訴人木下裕二が意識を失つたため木下車が次第にその姿勢角を増加させながら斜めに横滑りをして自然に減速し、時速約三〇キロメートル、姿勢角四五度内外となつたところ、右被控訴人が、再度清田車の左前部を木下車の右側面部に時速約五一キロメートルの速度で衝突させてくい込ませたうえ、ほぼそのかみ合い状態のまま、右橋の南端から倶知安町方向約二九メートルの道路右側に設置されていたガードロープ支柱まで木下車を押して行き、右支柱に圧迫されたため車体を切り裂かれて停止した木下車に清田車を乗り上げてこれを圧壊するとともに、その際、清田車にも前部キヤビン部分と後部荷台部分に分離を生じさせ、前部キヤビン部分を九〇度前方に回転させてそのまま同道路右側の土手下に転落させたものである。清田車が最初に木下車に接触した地点は、右橋の南端から余市町寄り約四五メートルの地点であり、また、再度木下車に衝突した地点は、同橋の南端から余市町寄り約一二メートルの地点であつて、いずれも右橋の上である。」

(2) 同抗弁2の事実を、次のとおり改める(原判決六枚目裏五行目以下)。

「被控訴人清田忠は、大江橋の橋上の道路が幅員約六・五メートルの一車線であつて、追越し禁止同視すべき場所であつたにもかかわらず無謀な追越しをはかつたうえ、前述のとおり運転操作を誤つて本件事故を発生させたのであるから、控訴人木下裕二には過失がなかつた。」

(二) 乙事件につき

(1) 請求原因1、(七)(事故の態様)の事実を、次のとおり改める(原判決七枚目裏二行目以下)。

「控訴人木下裕二は、木下車の助手席に控訴人木下裕亜を、後部座席右側に訴外亡木下雅雄(以下「亡雅雄」という。)を、同左側に控訴人木下亮三を同乗させてこれを運転し、国道五号線を余市町方面から倶知安町方向に向かつて時速約五五キロメートルの速度で進行して大江橋にさしかかつた際、前記七(甲事件抗弁)の1で述べたような状態で清田車に衝突され、事故が発生した。」

(2) 同1、(八)(結果)の事実を、次のとおり改める(原判決七枚目裏七行目以下)。

「(1) 亡雅雄は、外傷性シヨツク、腹壁開創、S状結腸・小腸腸間膜破裂、腸管脱出、両大腿骨骨折により昭和四七年一〇月一日社会福祉法人北海道社会事業協会余市病院(以下「余市病院」という。)に入院したが、同月二日午前五時四七分右傷害により同病院で死亡した。

(2) 控訴人木下裕亜は、左膝関節血腫、顔面裂創、右母指中手首骨開放骨折、腰部・頸部挫傷の傷害を受け、同月一日から二日まで余市病院に、同月三日から同年一二月一〇日まで市立小樽病院(以下「小樽病院」という。)に入院し、同月一一日から昭和四八年四月一〇日まで同病院に通院(実日数四四日)した。その後遺傷害は、右母指機能傷害、右顔面創傷である。

(3) 控訴人木下亮三は、頭蓋内出血、頸部捻挫、左大腿骨骨折、左股関節脱臼、左下腿切断、右大腿骨開放骨折兼骨髄炎の傷害を受け、昭和四七年一〇月一日から昭和五一年一〇月五日まで北海道済生会小樽北生病院に入院(実日数一四三六日)した。その後遺障害は、左下腿切断、右大腿骨偽関節、右下肢短縮である。

(4) 控訴人木下裕二は、頭部・顔面挫創、胸部挫傷の傷害を受け、昭和四七年一〇月一日から同月六日まで余市病院に、同月六日から同年一一月一六日まで小樽病院に入院し、同月一七日から同月二九日まで右病院に通院(実日数一三日)した。」

(3) 同2、(二)(被控訴人清田忠の責任原因)の事実を、次のとおり改める(原判決八枚目裏三行目以下)。

「被控訴人清田忠は、清田車を運転中無謀な追越しをはかり、運転操作を誤つて本件事故を発生させたから、安全運転義務違反の重大な過失があり、民法七〇九条により、控訴人らに生じた損害を賠償すべき責任がある。」

2  被控訴人らの主張に対する答弁

(一) 被控訴人清田忠、同伊藤俊之の1の主張事実は認める。

(二) 2の被控訴人清田忠、同綿久寝具株式会社の付加主張(仮定抗弁)は争う。

第三証拠関係

本件訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第一本件事故の発生

一  原審甲・乙両事件につき、その各請求原因1の(一)ないし(六)の事実中、清田車及び木下車のいずれか本件事故の加害車あるいは被害車の関係にあるかの点を除くその余の事実並びに同(七)の事実中、本件事故が、当事者双方の主張にかかる大江橋上において、余市町方面から倶知安町方向に向けて時速約五五キロメートルの速度で走行していた控訴人木下裕二(以下「控訴人裕二」という。)運転の木下車を、被控訴人清田忠(以下「被控訴人清田」という。)運転の清田車が追越すべく、道路中心線(以下「センターライン」という。)を越えて右木下車に接近した機会に、清田車の左前部と木下車の右側部とが衝突したために発生した事実及び清田車には、助手席に被控訴人伊藤俊之(以下「被控訴人伊藤」という。)が同乗し、、木下車には、助手席に控訴人木下裕亜(以下「控訴人裕亜」という。)が、後部座席右側に亡雅雄が、同左側に控訴人木下亮三(以下「控訴人亮三」という。)がそれぞれ同乗していた事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件の主要な争点は、本件事故がその態様において具体的にどのような経過をたどつて発生したかにあるから、以下右の争点について検討する。

1  本件事故の客観的事実

成立に争いのない甲第四、第五号証、同第一一号証、右甲第四号証添付の写真一枚目及び三枚目ないし六枚目の各拡大写真であることに争いのない乙第一一六号証の一ないし五、本件事故現場付近道路を撮影した写真であることに争いのない乙第三四ないし第四二号証、清田車及木下車を撮影した写真であることに争いのない甲第六号証の七ないし一八、同第一三号証の一ないし一三、木下車を撮影した写真であることに争いのない乙第四三ないし第五二号証、市販地図であることに争いのない乙第五三号証、弁論の全趣旨により本件事故現場付近道路を撮影した写真と認める甲第六号証の一ないし六、木下車を撮影した写真と認める甲第七号証の一ないし八、同第一四号証の一ないし五、本件事故当時と同じ状態の大江橋欄干を撮影した写真と認める乙第一一七号証、原審における証人小島正志の証言、当審における検証の結果(第一・二回)、当審における鑑定人鈴鹿武の鑑定の結果を総合すると、本件事故の客観的事実として次のように認定判断することができ、右甲第四、第五号証の各記載並びに前記鑑定の結果中、これに反する部分は採用できない。

(一) 本件事故当時における本件事故現場付近の道路について

(1) 本件事故現場は、国道五号線の余市町から倶知安町に至る間の、仁木町市街地から倶知安町方向約八キロメートル地点を流れる余市川に南北に架設された大江橋の南詰側に位置する場所で、その付近の道路状況は、橋上道路部分も含めて歩車道の区別のないアスフアルト舗装となつていて、その路面に白線でセンターラインと両側路側線を標示してある片側一車線の平坦な直線路となつていた。

(2) 大江橋は、全長一二七メートル、その路側線の内側の有効幅員が六・五メートルの鉄骨コンクリート造りで、その両側には、それぞれ幅約二三センチメートルのコンクリート縁石部分を土台として高さ約七七センチメートルの鉄製欄干が取り付けられている(右橋の全長及び幅員については、当事者間に争いがない。)。

余市町方向から見て若干の上り勾配となつている右橋梁の北詰側から同橋上に至ると、その前方倶知安町方向は、橋の南詰から約一キロメートルは直線であつて、その前方は右方に緩くカーブしているため見通すことはできないが、右カーブに至るまでの区間は橋梁に引き続いて左右とも約四メートルの盛土上を道路が走つていて一段と高く、視界を妨げる障害はなく、対向する車両等の有無を確認することは容易である。

(3) 大江橋の南詰側に続く国道の右側には、橋を渡り終えた地点で右に折れて余市川沿いの堤防道路に至る下り勾配の非舗装道路の入口(入口部分の道路幅約九・四メートル)と、その約一〇メートル前方にも、同様右折して付近の農家に至る下り勾配の非舗装私道入口(入口部分の道路幅約四・七メートル)があるが、このうち、私道の入口と国道とが交わる倶知安町寄り角の部分は、約三〇度の勾配を有する草地の土手となつてそのまま国道右側の路肩に続き、同私道の入口南角を起点として国道右側には、南に向けてほぼ等間隔に設けられた鉄製支柱に、上下三段のワイヤーロープを取り付けたガードロープが設置されている(同所にガードロープが設置されていることは、当事者間に争いがない。)。

(二) 本件両車両の状況について

(1) 清田車は、イスズ四六年式普通貨物自動車で、車高三・二〇メートル、車幅二・一六メートル、車長八・四五メートル、車両重量約四トン(最大積載量三・七五トン)、他方、木下車は、プリンス四〇年式乗車定員五人の普通乗用自動車で、車高一・四二メートル、車幅一・四九メートル、車長四・一〇メートルである。

(2) 右両車両が本件事故後に停止した地点は、国道と前記私道入口とが交差する路外部分であり、木下車は前記ガードロープの起点部に左側後部のフエンダー部分を引つかけ、国道に対して車首を四〇ないし五〇度土手下に向けた状態で停止し、その右に相接した形で清田車が、私道上に荷台後部を残して右側に横転した状態で、土手下に荷台を国道に向けて前のめりの姿勢で転落していた。

(3) 右両車両のうち、清田車は、荷台と独立した構造の前部キヤビン部分が約九〇度前方に転回していて、前照灯の取付位置から前部バンパー取付位置までの前部ボンネツト・ラジエーターグリル部分全面が押し潰されて原形を止めない状態にあり、また、前部バンパーは中央部分が曲損し、左端部も著しく曲損後退して、全体に約九〇度上向きになつていた。

他方、木下車は、前部ボンネツトの座屈及びルーフ部の凹損が顕著で、全体的に押し潰された状態になり、右側面部は後部ドア付近から前部フエンダー部分に向かつて深く抉られ、左側面部も、前部フエンダー先端部分が座屈し、前部ドア付近から後方の部分が上下に切り裂かれ、左右の各センターピラー及びその前後の窓枠部並びに左側後部ドアが欠損脱落しているうえ、車室の床部と車台フレームは、後部に至るほど顕著な剥離を生じていて、殆んど原形を止めないまでに大破していた。

(三) 本件事故現場道路上の事故の痕跡について

(1) 本件事故当日の午前六時三〇分から午前七時四〇分までの間、余市警察署警察官高橋茂、同小島正志の両名が、被控訴人清田を業務上過失傷害並びに道路交通法違反被疑事件の被疑者として立会わせたうえ、本件事故現場付近一帯の実況見分を実施した。

しかして、右警察官らは、前記橋の南詰を出外れた倶知安町寄りの国道上に、橋の欄干右側端から七・二メートル、その左側端から六・五メートルで、国道左側の路側線からは四メートル(従つて、センターラインから右に〇・七五メートル)の対向車線内に入つた地点を中心とする直径二ないし三メートルの範囲にわたり、路面に少量のガラス片が部分的に集中した状態で落下していて、その場所から前記両車両の停止位置まで、両車両のタイヤによるスリツプ痕が残されていることを確認し、右ガラス片の落下地点を両車両の衝突地点であるものと推定した。そして右警察官らが右ガラス片の落下地点の中心から両車両の停止位置までを測定したところ、木下車の後部端まで二二・八メートル、清田車の後部端まで一九・八メートルであつた。

(2) 右実況見分の際には、その道路一帯において右のような事故の痕跡が確認されただけで、前記橋梁上をも含め、他に事故の発生を推認させる痕跡は何ら存在しなかつた。

二  以上認定の客観的事実を基礎として、更に検討を進める。

(一)  両車両の事故現場に至る経緯について

原審における控訴人裕二本人尋問の結果(以下「控訴人裕二の原審供述」のようにいう。)、同亮三の原審供述並びに同裕亜の原審及び当審供述によると、木下車は、本件事故の当日、赤井川村方面において鴨猟をかねて山菜採りをして正午ころまでには帰宅する予定で、午前五時前ころに亡雅雄を伴い、かつ猟犬を同乗させて小樽市内を出発し、国道五号線を余市町を経由して本件事故現場付近道路にさしかかつたこと、また、被控訴人清田の原審及び当審供述並びに同伊藤の原審供述によると、清田車は、右被控訴人両名が勤務先である被控訴人綿久寝具株式会社(以下「被控訴会社」という。)の業務のため、同日午前中に函館市内へ荷物を運搬するため、午前四時三五分ころ小樽市内の被控訴会社小樽営業所を出発し、右木下車と同じく国道五号線を余市町を経由して本件事故現場付近道路にさしかかつたこと、がそれぞれ認められ、右各認定に反する証拠はない。

(二)  事故発生状況に関する両車両関係者の供述について

(1) 前顕被控訴人清田、同伊藤の各供述によれば、清田車が木下車の追越しを開始した当時対向する車両はなく、大江橋の中間付近を過ぎた辺りで清田車の全部を対向車線に進入させ、そのまま直進する状態で木下車の後方に接近し、橋の南詰を通り過ぎようとした際、前方二ないし三メートルを走行していた木下車が、右折の合図をしないで突然右に進路を変え、清田車の進路上に右斜め約四五度の姿勢で進入したため、橋の南詰から五ないし六メートル出外れた地点で清田車の左前部と木下車の右側部中央付近が衝突したというのである。

(2) 前顕控訴人裕二の供述によれば、大江橋にさしかかるまでのことは記憶しているが、右橋上に至つてからは清田車がいつ追越しして行くのかと思いながら前方だけを注視して走行していたことを記憶しているのみで、対向車があつたかどうか記憶にないし、両車両の衝突時の状況については一切記憶していないというのであり、前顕控訴人亮三の供述によれば、大江橋にさしかかる以前において清田車が追従していたかどうか記憶になく、橋にさしかかつてから、どの辺りか判らないが、控訴人裕亜が「危い」と怒鳴り、自分の方に身体をかぶせるようにしたので直ぐ後ろを振り向いて見たところ、大きな物が覆いかぶさるような感じがしたことを記憶しているのみで、両車両の衝突時の状況は一切記憶にないというのである。

そして、前顕控訴人裕亜の原審供述によれば、大江橋にさしかかる以前に、清田車が猛スピードで木下車の後方に接近しては離れ、離れてはまた接近するという走行状態を繰り返しているのを見て同車の運転態度に危険を感じていたが、右橋上にさしかかつてから後方を見たところ、清田車が、まくり立てるように追い上げて木下車にかぶさるような状態で接近して来たので事故の危険を感じ、後部座席の亡雅雄を抱きしめようとした際、どかんと音がして追突され、気を失つた。その追突地点は大江橋の真中付近であつたというのであり、また、同控訴人の当審供述によれば、両車両の衝突の直前に後方を振り向いて清田車を直視した時には、同車が既にかぶさつて来るのを見たが、衝突の瞬間は「木下車の右側後部ドアの窓のところに清田車のヘツドが入つて来た感じであつた」というのである。

(三)  目撃者の供述について

(1) 証人藤田薫の原審証言によれば、右藤田は、大江橋の南詰から倶知安町寄り約二五〇メートル地点を左に入つた同人方住居裏手で作業していた際に、何気なく橋の方を見たところ、その橋の半ば過ぎた地点を木下車が倶知安町方向に向かつて時速二〇ないし二五キロメートルで走行しているように見えたが、その後三ないし五秒くらいの間視線を逸らして作業を続け、再び橋上を見た際、同橋南詰付近で、木下車に清田車が後方から覆いかぶさるような状態で衝突し、ドウンという大きな音がして木下車は見えなくなり、清田車はそのまま前進して国道右脇でその車体後部が真直ぐに立ち上がつた後横倒しになつたというのである。

(2) 証人相沢善明の原審証言によれば、右相沢は、普通貨物自動車を運転して本件事故現場付近道路を反対方向から進行して来て、大江橋の南詰から約一〇〇メートルの地点にさしかかつた時に、橋上を余市町方面から対向して来た本件車両が、橋の南詰から二〇ないし三〇メートルの橋上において接触し、木下車が向かつて左の方に飛ばされて来てガードロープにぶつかつたところに清田車がその上に乗り上がるようになつたというのであるが、右目撃にかかる接触状況の具体的内容については、「最初に両車両を見た時には、未だ接触前であつた」と述べ、これを前提に、同人から見て右側の木下車と並んでその左側を進行して来た清田車が、「ハンドルを左に切つて、向かつて右側に入つた際に木下車に突つかけるように接触した」といい、あるいは、「最初に両車両を見た時には、清田車と木下車とは接触していた」とも述べ、また、接触前後の清田車の進路についても、右のように「向かつて右側に入つた」と述べる一方で、「清田車はずつと中央線からはみ出たまま進行して来た」とも述べている。

(3) 証人近藤博行の原審証言によれば、前記相沢運転の車両に同乗中、右相沢が「あつ事故だ」と云つたので、大江橋の南詰から一〇〇ないし一三〇メートルの地点で前方を見た時に、橋上において清田車が木下車の後部を押しているような状態で、そのまま木下車が先に欄干にぶつかり、そのあと清田車が木下車の上を乗り越えるようにして引つくり返つたといい、その目撃内容につき、木下車が押されて来て橋から出たとき、清田車は既に対向車線に出て来ていたから、木下車はそのまま突つかけられてガードレールにぶつかつて行つたともいうのであり、また、同証人の当審証言によれば、同証人が最初に事故を目撃して位置は、本件事故現場付近道路の倶知安町寄りにある前示カーブの部分から直線路に出て一〇〇ないし二〇〇メートル進行した辺りであるというのであり、かつ、その目撃にかかる両車両の衝突直後の位置関係を説明するため同証人が右証言の際に作成した図面の記載とその証言内容によれば、センターライン上に若干右斜めの姿勢となつている木下車の右側後部付近に、その右側後方から対向車線内を直進状態の清田車の左前部が衝突した状況にあつたというのである。

(四)  右各供述並びに各証言の信用性について

(1) 先ず、証人藤田薫の証言についてみると、前顕証人小島の証言及び前掲甲第五号証により、右藤田方裏手から大江橋南詰付近を往来する車両の動静を十分望見し得ることが認められるし、右藤田の前記証言内容には、格別不合理な点や矛盾する点はないから信用性があるものと判断される。

(2) 証人相沢善明及び同近藤博行の各証言については、各目撃にかかる両車両の接触ないし衝突地点が、いずれも大江橋の南詰から余市町方向に二〇ないし三〇メートル寄つた橋上であるとの証言部分は、前示現場道路上の事故の痕跡と符号しないし、前顕証人藤田の証言内容とも合致しないからこれを直ちに信用することはできない。

また、右証人らの各原審証言中、同証人らが本件事故を目撃した位置が橋の南詰から倶知安町寄り一〇〇ないし一三〇メートルの地点であるとの部分は、前顕被控訴人清田、同伊藤の各供述及び証人近藤の当審証言に照らしてこれを信用することはできないし、更に、証人相沢の原審証言中、両車両の接触状況に関する部分は、同証人がその接触前から目撃していたものか、接触後に目撃したものであるかの点について矛盾があるほか、右接触前後の清田車の進路の状況についても不合理な点があり、本件事故現場道路の前示見通し状況と、前顕証人近藤の当審証言によると、証人相沢、同近藤の事故目撃位置は大江橋の南詰から倶知安町方向に七〇〇ないし八〇〇メートル寄つた地点であることを推認することができるから、仮に、右相沢が本件車両の接触前からこれを目撃していたものとしても、その前後の両車両の走行状態や接触の瞬間における相互の位置関係の詳細を正確に認識することは困難であつたと考えられる。

してみれば、右証人両名の証言は、いずれも本件両車両の衝突後の目撃状況に関する部分に限つてその信用性を認めるのが相当である(なお、乙第五号証(「目撃証明」と題する書面)及び同第六六号証(「陳述書」と題する書面)には、それぞれ右相沢が本件事故を目撃した状況の記載があるが、これについても、右に述べたと同様の理由により、本件両車両の衝突後の状況に関する部分に限つてこれを信用するのを相当とする。)。

(3) 控訴人らの各供述について

控訴人裕二及び同亮三の各供述は、いずれも本件事故の具体的発生経過について記憶していないというのであるから、その証明力に欠けるというほかない。

控訴人裕亜の原審及び当審供述中、本件両車両の衝突地点に関する部分は、前記証人相沢、同近藤の各証言の信用性の判断と同じ理由により、これを信用することができない。また、その供述中、本件事故の態様に関する部分は、清田車の追越し開始から両車両の衝突に至るまでの一連の過程における双方の走行状態及び位置関係等、その事態の推移は何ら明らかでないのであつて、その証明力は極めて乏しいというほかない(前掲甲第五号証の記載中、控訴人裕二、同裕亜の各指示説明部分は、右控訴人両名の供述によると、いずれも同控訴人らの記憶に基づくものとは認められないから、これを措信することができない。)。

(4) 被控訴人らの各供述について

前段認定の客観的事実のもとで被控訴人らの各供述内容を検討すると、前掲甲第四、第五号証によれば、被控訴人清田は、本件事故当日に行われた前示実況見分のほか、昭和四八年二月二三日に行われた実況見分(以下「第二回実況見分」という。)にも立会つたこと、被控訴人伊藤は、右第二回実況見分に立会つたことがそれぞれ認められるところ、右被控訴人らは、いずれも現場において警察官に対し、その都度、清田車が木下車の追越しを開始した前後の走行状態やその後の進路の状況と両車両の衝突に至るまでの双方の動静並びに衝突の原因など、事故の発生経過に関して前記各供述内容とほぼ同一の指示説明をしている事実が認められるから、その供述には一貫性があり、かつ、格別矛盾する点や不合理な点を見出だすこともできない。また、前示両車両の事故後の停止位置やその各車体の損傷状況及び現場道路の事故の痕跡から推して、右両車両は、双方の車の前後の中心線が約四五度の角度で衝突してかみ合い状態となつたまま、共にその停止地点まで逸走したと推認されるが、右逸走の経路からみて木下車の前後の中心線がセンターラインに対して右に約四五度の角度を形成していたものであり、これに対して清田車は直進状態にあつたものと推認される。してみれば、木下車は直進する清田車の進路上に斜めに進入したものと推認せざるを得ないから、被控訴人らの前記各供述は真実に近いものと判断される。

(五)  木下車の運転操作について

木下車の同乗者である亡雅雄が、昭和四七年一〇月二日午前五時四七分に余市病院において死亡した事実は当事者間に争いがないところ、成立に争いのない乙第七号証によれば、同日その死亡診断書を作成した右病院の川村昌医師は、「外因死の追加事項」欄中、「手段及び状況」の項に「乗用車に同乗中、右折せんとしたところに後続のトラツクが追突」と記載したことが認められる。そして、他に特段の反証はないから、右記載は同医師が亡雅雄の近親者中本件事故の詳細を知る者からこれを聴取してなしたものと推認されるところ、いずれも成立に争いのない乙第一〇号証、同第二六号証によれば、控訴人裕二及び同裕亜の両名が同月一日右余市病院に入院したこと及び控訴人裕亜はその翌日の一〇月二日に転医のため同病院から退院したが、控訴人裕二は同月六日に転医するまで同病院に入院していたことが認められ、これに反する証拠はない。

してみれば、右記載は同医師において、木下車の運転者である控訴人裕二から事故の状況を聴取したうえ、そのまま前示のように記載したものと推認することができるから、右認定の記載があることは、本件事故が控訴人裕二において木下車を右折させたか、少なくとも右にハンドルを切る操作をしたことに起因することを推認させる重要な事実であるということができる。

三  当裁判所が認定した本件事故の態様

以上の観点から、前記当事者間に争いのない事実及び前記認定の各事実に、前顕被控訴人清田、同伊藤の各供述並びに証人小島、同藤田、同相沢、同近藤の各証言(相沢及び近藤の各証言については、いずれも前記措信しない部分を除く。)、いずれも右証人相沢の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証、同第六六号証(乙第五号証中の公証人の確定日付認証部分の成立は当事者間に争いがない。)を総合すると、前示大江橋上において清田車が前方一五ないし二〇メートルを先行する木下車を右側から追越しするため、橋の中間付近を過ぎた辺りから合図をしながら清田車を対向車線に進入させ、時速約六〇キロメートルの速度で直進して木下車の後方に接近し、橋の南詰付近にさしかかつた際、清田車の前方二ないし三メートルを先行していた木下車が、予め合図をしないまま突然右に進路を変えて右斜め約四五度の姿勢で清田車の進路上である道路右側部分に進入してきたため、橋の南詰から五ないし六メートル出外れた地点で清田車の左前部が木下車の右側部中央付近に衝突し、両車両がかみ合う状態となつて右側路肩付近に逸走して木下車はガードロープ支柱に激突し、清田車はその右側に横転するに至つたものであることが認められる。

前顕鑑定人の鑑定結果及び後記証人鈴鹿武の当審証言中この認定に反する部分は、次に述べる理由により採用できないし、他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

四  当審における鑑定人の鑑定結果について

(一)  当審鑑定人鈴鹿武は、本件事故の態様につき、控訴人らの主張する事実(乙事件請求原因1、(七)及び甲事件抗弁1)とほぼ同一の事故の発生経過を内容とする鑑定結果を報告し、かつ、当審証人として右鑑定結果に副う証言をする。

(二)  しかしながら、同鑑定結果を検討してみると、右鑑定による衝突地点は、単に清田車の推定速度を予想したうえ、これを一般論にあてはめて計算上その範囲を推定したにすぎないのであつて、客観的裏付資料に欠けるほか、その想定する両車両の衝突形態をもとにするならば、右衝突によつて破砕されたガラス片は、木下車の車体によつてその移動方向が塞がれていることになるから、必ずしも右計算どおりに前方に飛散するものとは推認し得ないし、また、後に述べるとおり、衝突後両車両は一旦前後に離脱する可能性も考えられるから、右ガラス片が両車両の間に挟まつたままの状態で移動するという現象は生じないはずであり、むしろ、その大部分は衝突地点周辺に落下するものと考えるのが経験則に合致するということができるから、右衝突地点の推定には合理性がないというほかはない。

また、右衝突後の木下車の姿勢角についても、これが言わば鑑定人の仮説にすぎないことはその鑑定経過から明らかであり、鑑定人がその推論の裏付として指摘する木下車右後部フエンダーの凹損が、果して清田車との接触によつて生じたものといえるかどうかは、本件にあらわれた全ての資料を対比検討してみてもその成因を一義的に判定することは困難であつて、これを具体的に清田車の車体のどの部分がどのように作用して生ずるに至つたかを考えてみても、その物理的発生過程に関する同鑑定書の記載並びに同鑑定人の当審証言は、いずれも単なる推測の域を出ないものというほかはなく、実証的根拠を欠くから、これをそのまま採用することはできないところであり、仮に、その推論を前提として、清田車が木下車に右回りのスピンを生じさせるような外力を及ぼしたとすれば、木下車に乗車していた誰れしもが車内においてその際の衝撃を認識し得たはずであると考えられるところ、本件全証拠によつてもそのような事実を認めることはできないし、清田車が制動を施した状態で木下車に接触したとすれば、接触後両車両は一旦前後に離れて或る程度の間隔をおき、木下車が二八ないし三五メートルの距離を斜めに横滑りして先行する状況下で、清田車が少なくとも右接触時と同じ速度のままで再度衝突したといわなければならず、しかもその間に両車両の運転者において危難回避のため何らかの措置をとることが当然予測し得るところであるが、同鑑定は、両車両の運転者がいずれも何らの措置をとらないままに事態が推移したことを前提とするものであつて(控訴人らは、右の接触の際、控訴人裕二はその衝撃により意識を失つた旨主張するが、本件全証拠によつてもこれを認めることはできない。)、その推論の過程を肯認することはできない。

従つて、前記鑑定人の鑑定の結果並びに当審証言は、結局、これを採用することはできない。

第二責任の帰属

一  控訴人裕二は木下車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたこと、被控訴会社は清田車を所有し、これを被控訴人清田に運転させてその運行の用に供していたこと、また、右両車両にいずれも構造上の欠陥及び機能上の障害がなかつたことは当事者間に争いがない。

二  前認定の本件事故の態様のもとにおける各車両の運転者の過失を考える。

1  控訴人裕二の過失

控訴人裕二は、木下車を運転して大江橋上の道路を走行中、橋の南詰付近において予め合図をすることもなく突然ハンドルを右に切り、折柄その右側方を追越すべく接近していた清田車の進路上に自車を斜めに進出させて右清田車の進行を妨げたものであるから、右控訴人には他の車両の安全に対する注意を欠き、その結果運転操作を誤つて本件事故を発生させるに至つた過失がある。

2  被控訴人清田の過失

前掲甲第四号証並びに弁論の全趣旨によると本件事故発生地点の道路は、その速度を法定速度以下に制限する規制及び追越しを禁止する規制の行われていない場所であることが認められ、これに反する証拠はない。

そうすると、被控訴人清田が清田車を運転して木下車の追越しを開始したこと及びその後の走行状態については格別法令に違反する事実を認めることはできず、右被控訴人は、追越しの過程で、木下車が至近距離で自車の進路上に進入したのを発見して初めて危険を感じたものというべきところ、かかる状況下において、木下車の動静を咄嗟に見定めて自車のハンドルを左右いずれに切るべきかを的確に判断することは極めて困難であり、かつ、その相互の車間距離に照らし、急制動の措置をとつたとしても、本件衝突を回避することはできなかつたというほかはないから、右被控訴人には何ら過失がない。

三  してみれば、原審甲事件につき、控訴人裕二の免責の抗弁は理由がないから、右控訴人は自賠法三条に基づき、被控訴人清田及び同伊藤に生じた後記損害を賠償する責任があるというべきであり、他方、乙事件については、被控訴人清田には責任がなく、また、被控訴会社の免責の抗弁は理由があるから、自賠法第三条の責任を負わない。

第三損害

一  被控訴人清田

被控訴人清田の原審供述及びこれにより成立を認める甲第二号証の一によれば、右被控訴人は、本件事故によつて頭・顔・胸・左膝関節挫傷、膝蓋骨骨折、右第六肋骨骨折の傷害を負つたことが認められ、他にこの認定に反する証拠はない。

同被控訴人が、昭和四七年一〇月一日から同年一二月二七日まで坂井外科医院に入院した事実は当事者間に争いがない。

損害額

(一)  入院治療費 金二八万七七六〇円

被控訴人清田の前顕供述及びこれによつて成立を認める甲第三号証の一、原本の存在及び成立に争いのない甲第二三号証の三・四によると、同被控訴人は、前示坂井外科医院に入院中の治療費として合計金四六万四三八〇円を支出した事実を認めることができるところ、本訴において、そのうち同年一〇月一日から同年一一月二〇日までの金二八万七七六〇円の限度で請求するので、その金額が認容できる。

(二)  入院慰藉料 金三〇万円

被控訴人清田は入通院慰藉料を請求するが、同被控訴人が前示入院期間のほかに通院して治療を受けた事実を認めさせる証拠はないから、前示傷害の部位、程度とその入院治療期間を考慮し、慰藉料としては金三〇万円が相当である。

(三)  入院諸雑費 金一万五三〇〇円

弁論の全趣旨により、入院中一日あたり三〇〇円の諸雑費を支出したものと推認することができるから、その請求にかかる前記入院期間のうち五一日分の金一万五三〇〇円の限度で認容すべきである。

(四)  休業損害

被控訴人清田は、休業損害として金八二万七四八〇円を請求するが、その算定根拠については何ら主張がないし、本件全証拠によるもこれを認めさせるに足りる証拠はない。

(五)  弁護士費用 金六万円

被控訴人清田は、弁護士費用として金一七万四二〇〇円を請求するが、本件損害の程度及び前記請求認容額などを考慮し、金六万円の限度で認容するのが相当である。

二  被控訴人伊藤

被控訴人伊藤の原審供述及びこれにより成立を認める甲第二号証の二によれば、同被控訴人は、本件事故によつて頭・頸・背・腰・左膝・下腿挫傷、左足挫創、頸椎捻挫の傷害を負つたことが認められ、他にこの認定に反する証拠はない。

同被控訴人が、昭和四七年一〇月一日から同月八日まで坂井外科医院に通院(実日数七日)した後、同月九日から同年一二月九日まで右医院に入院し、同月一〇日から昭和四八年一月一八日まで同医院に通院(実日数九日)した事実と当事者間に争いがない。

損害額

(一)  入院治療費 金二八万三六四〇円

被控訴人伊藤の前顕供述及びこれにより成立を認める甲第三号証の二、原本の存在及び成立に争いのない甲第二四号証の三・四によると、右被控訴人は、前示坂井外科医院に入通院中の治療費として合計金三九万八二五二円を支出した事実を認めることができるところ、本訴において、そのうち昭和四七年一〇月一日から同年一一月二〇日までの間における入院四三日、通院七日の分につき金二八万三六四〇円の限度で請求するので、その全額が認容できる。

(二)  入通院慰藉料 金二八万円

前示傷害の部位、程度とその入通院治療期間を考慮し、慰藉料としては金二八万円が相当である。

(三)  入院諸雑費 金一万二九〇〇円

前記一2(三)と同じ理由により、入院中一日あたり三〇〇円として、その請求にかかる前記入院期間四三日分の金一万二九〇〇円の限度で認容すべきである。

(四)  休業補償費

被控訴人伊藤は、休業補償費として金二七万六二七八円を請求するが、その算定根拠について何ら主張がないし、本件全証拠によるもこれを認めさせるに足りる証拠はない。

(五)  弁護士費用 金六万円

被控訴人伊藤は、弁護士費用として金一一万八六〇〇円を請求するが、前記一(五)と同じ理由により、金六万円の限度で認容するのが相当である。

第四結論

以上を総合すると、控訴人裕二に対する被控訴人清田の請求は、金六六万三〇六〇円及び内金六〇万三〇六〇円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年二月二日から、内金六万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、また、被控訴人伊藤の請求は、金六三万六五四〇円及び内金五七万六五四〇円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年二月二日から、内金六万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるからこれを認容すべく、その余は理由がないからこれをいずれも棄却すべきであり、被控訴人清田及び被控訴会社に対する控訴人らの各請求は全部理由がないから、これをいずれも棄却すべきである。

よつて、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれをいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧田薫 吉本俊雄 和田丈夫)

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